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ホークス情報

2018年8月19日

新育成の星 大竹耕太郎の原点


【大竹投手】
「まずは1つめの目標をクリアできて嬉しく思います。
 10番イコール大竹というイメージをもっていただけるような活躍をしたいと思います。」


育成ドラフト4位入団から、1年目で支配下登録。
その2日後、新しい背番号10のユニフォームで、プロ初登板初勝利。
シンデレラストーリーを歩み始めた、大竹耕太郎。
その原点を追った。

大竹家の第2子、長男として
2858グラムで誕生した、耕太郎少年。

故郷・熊本市。
その野球人生を見守ってきた両親を訪ねると
出生時の驚きのエピソードを聞かされた。


【母・和子さん】
「お腹が大きいときに病院に行ったんですよね、そしたら心拍数が下がっているから、
 ただ行ったのに帝王切開をしないといけないと言われた」


もともとは、自然分娩の予定だった。
予想外に早まった誕生には、思いもよらない理由があった。


【母・和子さん】
「へその緒が固結びになっていた。
 あれがもしお腹の中でもう少しきつく縛られていたら当然、中で死んでいるだろうし、
 あの時に病院に行かなければ死んでいた。ギリギリそのタイミングじゃないと助からなかった。」

【父・紳一郎さん】
「昨日でもダメだったし、明日でもダメだったと。」

【母・和子さん】
「生まれてきたときから運を持っているのかなと」


母・和子さんが「奇跡の子」と話す耕太郎少年は
小学3年で野球を始め、すぐに目標は、甲子園となった。
大竹が進学したのは、
県内屈指の進学校、済々黌高校。
昭和33年に、センバツで全国制覇の実績を持つ伝統校だ。
入部した当時の監督、池田満頼さん。
1年生の大竹のボールを見て、驚いたと言う。


【池田元監督】
「ビックリしたのは低めのボール、普通入学してすぐのピッチャーは
 垂れるというか落ちるんですよね。
 大竹のボールに関しては低めのボールが全く垂れなかったのでビックリしました。」


今、プロでも通用している、代名詞の「伸びのあるボール」。
球速以上に早く感じるストレートを、
15歳の大竹はすでに手にしていた。

【池田元監督】
「大竹が2年、3年になるときには相当なクラスのピッチャーになると期待してました。」

その予感は当たった。
大竹を2年生エースに据えた、夏の熊本大会決勝。
連投の疲れもあったが、自慢のストレートを武器に
チームを18年ぶりの甲子園に導いた。


【大竹投手】
「打たれても根気強く投げたところが今日は良かった」


憧れの甲子園の舞台。
初戦の鳴門戦は、9回を1人で投げ切る。
中でも、ストレートの質の高さが目立った。

【池田元監督】
「全く打たれなかったんですけど、その時も球速は129。
 スピードは出てなかった。
 ただ鳴門のバッターがそのストレートに空振りする。
 想像以上にベース版で伸びるかスピンが効いているボールだったと思う。」


次の相手は、優勝候補の筆頭、大阪桐蔭。
この試合は、大竹の投手人生にとって、
大きなターニングポイントとなった。

相手エースの藤浪は、ベンチスタートだったが、
その打線。1番には、同じ2年生の森友哉がいた。

初回、その森に、スライダーをレフト前へ簡単に運ばれる。
このヒットをきっかけに、いきなり先制を許す。


【大竹投手】
「左バッターは得意なので大丈夫かと思ったんですけど、いきなり先頭でレフト前打たれて
 見送るんじゃないかというくらいの構えからスイングしてヒットしてくるので
 スイングスピードの速さにびっくりしました。」


4回には、森と、この日3度目の対決。
今でも脳裏に焼き付いている。
自慢のストレートを、軽々と、ライトスタンドに運ばれた。


【大竹投手】
「最後インコースの真っ直ぐ、しかもインコースのボール球ですね。
 バッターボックスのライン食らいにくいん紺で行くようなストレートだった。
 僕の中ではすごい一番得意なボールだったので、それをホームランされることはほとんどなかった。
 自信が一番あるボールを打たれた。」

結局、大竹は、森に猛打賞を許すなど
8回、6失点。 完敗だった。

【大竹投手】
「食いは無かったが、力の無さ、まだまだだなと感じた。
 上には上がいると痛感したので、そこからもっと上のレベルを目指して頑張ろうと思った。」


それでも、負けをただの負けにしない。
大竹には、壁を乗り越える力があった。
黙々と練習に取り込む姿は、監督の目にも、頼もしく映った。


【池田元監督】
「大竹が自信を持って相手を見下ろすというか、そういう目線でピッチングできるようになった。
 高校野球最強の大阪桐蔭と対戦できたのは大きかった。」


大竹は、その成長を、すぐに証明した。
あの夏の敗戦から、およそ7か月後。
夏春連続出場を果たした、センバツでの常総学院戦。

終盤のピンチで、4番打者を三振にとったこの変化球。
池田監督は驚かされた。


【池田元監督】
「終わった後に記者の人に、あのボールなんですかねと聞かれて、
 僕スライダーしか知らなかったんで、大竹が投げてるの。
 スライダーじゃないですかねって話をしたんですけど、
 後々聞いたらチェンジアップだというんですよね。
 チェンジアップいつ覚えたの?という感じでしたね。
 チェンジアップを投げれることさえ僕は知らなかった。
 自分で球種を開発してここを伸ばそうということが自分でできる選手。」

常に、1つ上のレベルを目指す向上心。
それがあったからこそ、この後の大きな決断につながる。

それは、早稲田大学卒業後に
ホークスから受けた、育成指名。


【大竹投手】
「葛藤しかなかったですね。すごい迷いましたね。
 もちろん行くな、お前には無理という声もたくさん言われましたし、
 その中で家族だけは後押ししてくれて、
 親も公務員なんで、安定志向かと思ったら、予想外で、えっと思ったんですけど、
 プロに行けと推してくれたので」

【父・紳一郎さん】
「社会人だと、プロにつながって入るけど、ドアは無いじゃないですか。
 育成でも入れば認められていくから。
 社会人だとなかなかモチベーションが保てるかなと自分で言っていたので、
 もうお前が好きなようにしたらいいんじゃないと話しました。」

【母・和子さん】
「小さいときから自分がやりたいことを全部やりたいようにさせてきたので、
 今回も自分がやりたいようにやったらいいと思いました。」
「不安は、ないです。ダメならダメでどうにでもなるので」


家族が背中を押してくれたから、今がある。
プロ初勝利のウイニングボールで恩返しができた。


【父・紳一郎さん】
「試合が終わった後、ホテルまで行って会えたんですよ。その時にもらいました。」

【母・和子さん】
「いつもだけど、何気なくはいって感じです。」

大竹家のリビングには、
これまでの野球人生の勲章が並んでいる。
この先どのくらい、記念のボールは、増えていくのだろうか。

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